[コラム] 好きな事を仕事にする。ということ。

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今年はブログを(も)頑張ろう。と決めたのでこのところ投稿を頑張っています。

2015年から始めたこのブログもなんだかんだ4年目に突入しました。

先日Twitterで「DJ社長」という方のとても長い自分語りの動画を見たのですが皆さんもうチェックしたでしょうか?

人の成功話。というのはいくらでもあるのですが、失敗談っていうのはあんまりないので賛否両論あると思いますが見てみるといいと思います。

私個人としては正直なところ

「うわーDJ社長みたいになりたい!」

とか

「ギロッポンでチャンネーとシャンパンタワーでウェーイ」

みたいなのには全く興味なくて、そんな派手な生活をするよりも休日に子供達とお弁当持って公園に行く生活の方が幸せだと思ってます。

で、この動画でこのDJ社長氏が何を伝えたいかというと

行動して続ける人が強い。

って事なんですね。

私もこのブログを始めて3年経ちまして、最初は本当にアクセス数なんてなかったのですよ。(今も言うほどないですけど)

でも少しずつ記事を足していくことで今では大体一日に400人ぐらいの方に記事を読んでいただいていたりしています。有難い事です。

一般人が400人に向かって何かを伝えるって機会は普通無いんですね。私が通ってた小学校とか中学校が全校生徒300人。高校も1学年で300人ぐらいでしたからそれより多い。

全校集会で毎日喋ってるようなもんなのですわ。

それでですよ。正直なところ私は今映像や写真を撮って「好きなことをして」お金を頂いているのですが、「サフリーマンス」と自分で名乗ってる通り本業はサラリーマンなのです。サラリーマンとしてお給料を頂いて家のローンとか、色んな保険だとか、子供の幼稚園に払うお金だとか、基本的な生活費を賄っております。映像業の収益は殆ど機材で消えちゃうからね。

じゃあ「好きな事して生きてないじゃん!」とか言われるんですが、本業のサラリーマンも音響機器の設計という「好きな事」なので実質「好きな事をいっぱいして生きている」という状況にあるのです。

というわけで前置きが長くなりましたが、自分なりに「好きな事を仕事にする」という事、自分がどうやってこういう状況に今あるのか。というのを語ってみたいと思います。

とはいえ長いですしそんなに面白いものではないと思うので、どうぞ興味ない人はブラウザのバックボタンを。

 

生い立ち

私は約34年前に千葉県の館山市という田舎な港町の洋品店を営む家で生まれました。上に姉と下に妹の5人家族。

父親は木工が得意だったり手先が器用なので大抵のことは自分で直したり作ったりしちゃうし、母親は洋品店という業種的に裁縫が得意だったので子供が持つちょっとしたカバンなんかはパパッと作っちゃうようなそんな家でした。

そういうのを見て育ったからなのか、小さいころから厚紙を使っていろんなものを作ってたんですね。パック入りのシャツ買ったりすると服が折れないように厚紙が入ってたりするじゃないですか。そういう紙がウチにはゴロゴロしていたので厚紙を切って立体的に組み立てたりして、何を作ってたのかは忘れましたが確か鉄砲のおもちゃ(弾が出るようなクオリティではない)とかだったような。

幼稚園児の時も制作の時間が好きでみんな外で遊んでるときも折り紙折ってたり、卵のパックのデコボコがなんかワニに見えたので目玉貼ったり体作ったりしてワニを作ってなんか褒められたのを覚えています。(こうやって褒められたのもモノづくりが好きになった原点なのかも)

そんな幼少時代を過ごしてまして、何かを作る事が好きでした。確か小学生の時の夢は建築士だったかなー

小学生の高学年ぐらいから海や川が近いのと、周りに娯楽がなかったので釣りをするようになってバス釣りが流行りだしてからはルアーを自分で作り始めたりと益々モノを作る事をずっとやってました。

ちょうど高校に上がったぐらいで自宅にパソコンが来て、Windows 98のFujitsuのやつ。CPUは1GHzも無くて、メモリも64MBでHDDは30GBだったかな。もちろん液晶じゃなくてCRT。それで今たまに見る黒歴史みたいなHTMLのホームページとか、BasicやらC言語、Javaなんかを勉強したりFLASHを使ってアニメーション満載なホームページ作ったりしてました。

中学生まで音楽なんて好きじゃなかった

今では音楽大好きで、いろいろ音楽にかかわる仕事を本業、映像業問わずやってますが昔は音楽なんて全然好きじゃなかったのです。CD1枚に1000円なんて高すぎる。とか考えてたぐらい。

でも中学が一緒で今もよく連絡を取ってるミウラ君というのが居て、彼にBUMP OF CHICKENのThe Living Deadというアルバムを半ば強引に押し付けられたんですよ。

ここから一気に音楽に魅せられて、高校の帰りはCDショップに寄ったり古本屋に中古CDを漁りに行ってました。段々RockからMixture(ちょうどDragon Ashが流行った時代でした)からHipHopに入っていって、なんかやりたいな。って考えたんですよ。

でも当時の自分は今でいう陰キャでしたしラッパーやるようなキャラじゃないし、DJならそんなに目立たないし。と思って父親が持ってたパイオニア製のターンテーブルに、ネットで安く譲ってもらった名前も知らないようなミキサーとレコード針でDJの真似事みたいなのを始めました。

館山ってところは本当に田舎で、東京に出るのは電車で3時間、片道2500円もかけないといけないんですね。電車で1時間頑張っても木更津ですから、まさに陸続きの孤島。

私は纏まったお金が出来たときは東京湾フェリーに乗って一人で横浜まで出て、横浜のRecofanやらバナナレコードさんでよくレコードを買ってました。東京と同じ3時間ぐらいで着くし交通費も片道1500円ぐらいだったんですよね。

地元のCDショップでは販促用のポスターやらMusic VideoのVHSテープをCD買ったら好きに選んで持って帰っていい。という夢のようなシステムがありまして、欲しいCDがあっても欲しいポスターやVHSが入るまで我慢する。ということもありました。千葉テレビでは夕方5時からMVを流す番組がやっていまして良く見ていたのを覚えてます。YouTubeが無い時代。Music Videoをしっかりと見られる貴重な機会でした。

そんなわけで釣りと音楽とモノづくりに明け暮れながら私の高校3年間が終わりました。

センター試験は受けたくなかった

センター試験。というものが嫌いでした。受けたことないのに嫌いでした。

なんか毎年毎年、新年早々ニュースでアナウンサーが「今年もセンター試験が始まりました」みたいなこと言って勉強で疲れ果ててるのか緊張してるのかわからないけど浮かない顔の人たちが画面いっぱいに映し出されている様子を見てたら

絶対にこの試験受けたくない!

って思ったのです。ですから偶然指定校推薦枠があったS工業大学という大学に指定校推薦で行きました。書類審査のみ。なんとクソ田舎の館山を一歩も出ることなく、クラスの誰よりも早く進路が決まってしまったのですね。

今思うとS工業大学は授業料高いですし、売れない洋品店やりながら仕送りまでしてくれて卒業させてくれた親には感謝しかないです。

本格的にDJ始めました

大学は埼玉県のさいたま市にキャンパスがありましたので、田舎から出てきて一人暮らしを始めました。ダンスサークルにDJやってる先輩がいる。というわけでダンスサークルに入ったりしました。すこーしだけ踊れるのはそんなわけがあったりします。

その先輩つながりで当時大宮近辺でイベントやってたDJのグループを紹介してもらってそこに入って大学生活はどちらかというと学科の友人よりもそっちの友人と絡んでることが多かったですね。

自分たちでクラブイベントを打ってたりしていたのでしょっちゅう大宮に集まっては色々話し合ってたのですが、フライヤー(チラシ)作る人がいない→じゃあ私作ります。とか、VJいたら面白いんじゃない?→じゃあ私やります。とかで色々と無謀にもチャレンジしていました。

そのおかげでDTPの知識やら映像の知識が付いたのかなと思います。

就職先を決める

無事大学デビューも果たせましたし、就職氷河期も終わりを迎えていたこともあって就職活動はあんまり苦労しませんでした。最初にELEC〇Mさんは慣れない面接もあってか一発で落とされましたけどw

最終的には金沢に本社のあるPCサプライメーカーさんと町田に本社のある某マイク・イヤホン屋さん、あとは今の仕事の元となる川崎に本社のある音響機器メーカーに内定を頂きました。

就職した会社はDJ機器を作ってまして大学のDJ経験と高校時代からやってたプログラミングを活かしてDJ機器のソフト開発部門に配属されて、1年目から色々な経験をさせてもらいました。

今は親会社が変わったので川崎の会社は退職して新しい親会社の社員として仕事をしていて、トータルで12年目を迎えます。サラリーマンという立場ですが大好きなDJに関係する仕事ですから「好きな事を仕事にした」ということです。

映像をはじめたキッカケ

大学生の時にEOS Kiss digitalという今のKissデジの最初のモデルが発売されましてデジタルの一眼レフ。というのは今は一般的ですが昔は珍しくて、技術的興味でレンズキットを買ってみたのをきっかけに写真にのめり込みました。

卒業後は先述にもある通りオーディオメーカーで働いていましたので音声に関わる仕事が主ですから、写真+音声=映像。という流れで映像に興味が出るのはいわば当たり前だったと思います。

でも最初に映像を作ったのは2010年の4月。8年前。自分の結婚式のプロフィール動画やらオープニング動画ですかねw

大学生の時からスケートボードを初めて夜な夜な集まっては夜通しスケボーやってたりしてたのですが、スケボーのビデオってやたらとカッコイイんですよ。大体SONYのVX1000とかで撮られてたりしてたものの中々手が出る価格ではなくて憧れだけを持っていました。

で、就職して今度はピストバイクが流行るようになってMASHっていうグループのピスト動画を見漁ったり。最終的にはKENDAMA USAの動画とか見てました。

多分この編の動画見てピストバイク乗り始めた人とか、けん玉始めた人って結構いると思うんです。私もそんな一人でした。でも自分の場合「自分も撮ってみたい」って思ったんですよね。なんとなくこれまでの経験を色々活かせばできる。そんな気がしたのです。

やってみたいなぁ。。じゃなくてやってみる。そして続ける。

これを幼少期からずっと繰り返していたのが大事だったのだと思います。

そんなわけで私は今、当時の月のお小遣い3万円を貯めて買ったカメラで稼いだお金で新しいカメラやレンズを買って、子供の成長に伴い月のお小遣いが2万円に減らされながらも変わらず、というか以前にもまして機材のアップデートを続けられています。今年は初の黒字も狙ってます。

ブログの広告収入も、すこーしずつですが上がってきています。見てくれている皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。

先述しましたが、今好きな事でお金を頂けているという理由の全ては好きな事を続けていたからだと思っています。継続は力なり。これが全てです。

一見無関係に見える映像制作とルアーづくりですが、私としては映像制作のルーツはルアーづくり(もっと言ってしまえ厚紙で作っていたおもちゃの鉄砲)なのです。

学生の皆さんは今打ち込めている何かがありますか?

好きな事で生きていく。

これってそんなに難しい事じゃないですよ。就職活動終わった人も終わってない人もこれからな人も自分の将来へのプランの参考になれば嬉しいです。

長々とすみません。ここまで読んでくれてありがとうございました。

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